北きたとぴあの前まえに立たつ 平和へいわをねがう像ぞう

北とぴあの前に立つ 平和をねがう像
東京都北区の平和祈念像

みなさんの町まちにも、駅えきの前まえや公園こうえんに、人ひとの形かたちをしたぞうが立たっているところはありませんか。北区きたくの王子おうじにある北きたとぴあという大おおきなたて物ものの前まえにも、高たかさ2.41メートルの大おおきなぞうが一ひとつ立たっています。大人おとなの身長しんちょうよりも、ずっと高たかいぞうです。

北とぴあの前に立つ 平和をねがう像
東京都北区の平和祈念像

このぞうは、長ながい間北区あいだきたくに住すんでいた一人ひとりの「彫刻家ちょうこくか」と、ふかいつながりがあります。東京都北区とうきょうときたくは、その人ひと、北村西望きたむらせいぼうさんの歩あゆみをしょうかいしていて、2025年ねん2月がつ7日なのかにその内ないようを新あたらしくしました。

北村西望きたむらせいぼうさんは、明治めいじ17年ねん(1884年ねん)に長崎県ながさきけんで生うまれました。東京美術学校とうきょうびじゅつがっこうを、一番いちばんのせいせきで出でています。大正たいしょう5年ねん(1916年ねん)からは、37年間ねんかんも北区きたくに住すんでいました。

大正たいしょう14年ねん(1925年ねん)には、帝国美術院ていこくびじゅついん(今いまの日本芸術院にほんげいじゅついん)の会員かいいんになりました。昭和しょうわ33年ねん(1958年ねん)には、文化勲章ぶんかくんしょうと文化功労賞ぶんかこうろうしょうを受うけました。そのほかにも、日展にってんの会長かいちょうや、北区美術会きたくびじゅつかいの名誉会長めいよかいちょうなどをつとめました。そして昭和しょうわ56年ねん(1981年ねん)には、北区きたくの「名誉区民めいよくみん」にえらばれました。北村西望きたむらせいぼうさんがなくなったのは、昭和しょうわ62年ねん(1987年ねん)です。

北村西望きたむらせいぼうさんの代表作だいひょうさくは、長崎ながさきにある「平和祈念像へいわきねんぞう」です。この作品さくひんは、世界中せかいじゅうの人ひとに知しられています。北きたとぴあの前まえに立たっているぞうは、この平和祈念像へいわきねんぞうのもとになった形かたちからつくられた、同おなじすがたのぞうなのです。

彫刻家ちょうこくかとは、石いしや木き、金きんぞくやねん土どなどを使つかって、人ひとや動物どうぶつなどのすがたを立体りったいの形かたちであらわす作品さくひんをつくる人ひとのことです。名誉区民めいよくみんとは、その区くにとってほこりになるはたらきをした人ひとにおくられる、とくべつな名前なまえのことです。平和祈念像へいわきねんぞうの「祈念きねん」には、心こころからねがうという意味いみがあります。名前なまえのとおり、平和へいわをねがう気持きもちがこめられたぞうなのです。

北きたとぴあの前まえを通とおることがあったら、少すこし立たち止どまって、そのぞうを見上みあげてみてください。長崎ながさきと北区きたくという遠とおくはなれた二ふたつの場所ばしょが、同おなじすがたのぞうでつながっています。北村西望きたむらせいぼうさんが北区きたくに住すみながらつくった作品さくひんは、今いまを生いきるわたしたちに、平和へいわについて考かんがえるきっかけをあたえてくれます。