北きたとぴあの前まえに立たつ大おおきな像ぞう 北村西望きたむらせいぼうさんの歩あゆみを東京都北区とうきょうときたくがしょうかい

北とぴあの前に立つ大きな像 北村西望さんの歩みを東京都北区がしょうかい
東京都北区の平和祈念像

みなさんの住すむ町まちにも、駅えきの前まえや公園こうえんに、人ひとの形かたちをした像ぞうが立たっているのを見みかけることがあると思おもいます。ふだんは何気なにげなく通とおり過すぎてしまいますが、その像ぞうには、その町まちとつながりの深ふかい人ひとの物語ものがたりがかくれていることがあります。東京都とうきょうとの北区きたくの王子おうじには、北きたとぴあという建物たてものがあり、その前まえに大おおきな像ぞうが立たっています。この像ぞうは、長ながい間北区あいだきたくに住すみ、世界せかいに知しられる作品さくひんを残のこした一人ひとりのちょうこく家かと、深ふかい関かかわりがあります。東京都北区とうきょうときたくは、その人ひとである北村西望きたむらせいぼうさんの歩あゆみを、区くのホームページでしょうかいしています。

北とぴあの前に立つ大きな像 北村西望さんの歩みを東京都北区がしょうかい
東京都北区の平和祈念像

北村西望きたむらせいぼうさんは、明治めいじ17年ねん(1884年ねん)に長崎県ながさきけんで生うまれたちょうこく家かです。ねん土どや石いし、金属きんぞくなどを使つかって、立体りったいの作品さくひんを作つくる仕事しごとをしていました。北村西望きたむらせいぼうさんは東京美術学校とうきょうびじゅつがっこうを首席しゅせきで卒業そつぎょうし、大正たいしょう5年ねん(1916年ねん)から37年ねんもの長ながい間あいだ、北区きたくに住すみました。大正たいしょう14年ねん(1925年ねん)には、今いまの日本芸術院にほんげいじゅついんにあたる会かいの会員かいいんに選えらばれています。昭和しょうわ33年ねん(1958年ねん)には文化ぶんかくん章しょうと文化功労賞ぶんかこうろうしょうを受うけ、日展にってんの会長かいちょうや、北区美術会きたくびじゅつかいのめいよ会長かいちょうなどもつとめました。そして昭和しょうわ56年ねん(1981年ねん)に北区きたくのめいよ区民くみんに選えらばれ、昭和しょうわ62年ねん(1987年ねん)になくなりました。北村西望きたむらせいぼうさんの代表作だいひょうさくは、長崎ながさきにある、平和へいわを願ねがう大おおきな像ぞうです。この作品さくひんは世界的せかいてきに有名ゆうめいで、北区きたくには、その原型げんけいをもとにして作つくられた高たかさ2.41メートルの像ぞうがあり、北きたとぴあの前まえに設置せっちされています。この内容ないようは、2025年ねん2月がつ7日なのかに新あたらしくされたものです。

ここで、出でてきた言葉ことばを説明せつめいします。「彫刻ちょうこく」とは、木きや石いし、金属きんぞくなどをほったり形かたちづくったりして、立体りったいの作品さくひんを作つくる芸術げいじゅつのことです。「名誉区民めいよくみん」とは、その区くのために大おおきな働はたらきをした人ひとに、区くがおくる特別とくべつな呼よび名なです。「文化勲章ぶんかくんしょう」は、文化ぶんかや芸術げいじゅつ、学問がくもんの発展はってんに力ちからをつくした人ひとに、国くにからおくられるものです。また、北村西望きたむらせいぼうさんが長崎ながさきに作つくった像ぞうの名前なまえは「平和祈念像へいわきねんぞう」といい、平和へいわを忘わすれずに願ねがい続つづける、という意味いみがこめられています。町まちにある像ぞうや古ふるい建物たてものには、それを作つくった人ひとや、その町まちで生いきてきた人ひとたちの願ねがいがこめられています。北きたとぴあの前まえの像ぞうのように、遠とおくはなれた長崎ながさきと北区きたくが、一ひとつの作品さくひんを通とおしてつながっていることもあります。町まちを歩あるくときに像ぞうの前まえで少すこし立たち止どまり、だれが、どんな願ねがいをこめて作つくったのかを調しらべてみると、自分じぶんの住すむ町まちの歴史れきしや、平和へいわについて考かんがえるきっかけになります。