三度の空襲の記録を伝える今治市の碑 平和への願いを刻む

今年は、太平洋戦争が終わってから81年になります。みなさんは社会の学習で、日中戦争や太平洋戦争が国の内外に大きな被害をもたらしたことを学びました。しかし、戦争を実際に体験した人は年々少なくなり、当時の話を直接聞くことは難しくなっています。そこで、被害の記録を残して次の世代に伝え、二度と戦争をくり返さないようにいのる取り組みが、日本の各地で行われています。愛媛県今治市にある「今治市戰災の碑」も、その一つです。この碑のことは、総務省のホームページで取り上げられています。

1945年(昭和20年)、太平洋戦争の末期に、今治市はアメリカ軍の飛行機B29による空襲を三度受けました。第一回の空襲は4月26日で、なくなった人が68名、重い傷を負った人が34名、全部こわれた家が41戸、半分こわれた家が63戸という被害が出ました。第二回の空襲は5月8日で、なくなった人が29名、重い傷を負った人が4名、全部こわれた家が43戸、半分こわれた家が98戸でした。第三回の空襲は8月5日から6日にかけて行われ、なくなった人は454名以上、重い傷を負った人は150名以上にのぼり、8212戸の家が全焼し、被害を受けた人は34200名以上になりました。碑には、今治市の市民だけでなく、県の内外から集められた動員学徒もふくめて、愛媛県の中で最も多くの人たちが命を失ったと記されています。こうした被害の記録を残し、なくなった人たちを追悼して平和をいのるために、今治市戦災遺族会と今治市の戦災を記録する会は、平成20年(2008年)3月、空襲の被害を受けた市街地にこの碑を建てました。
ここで、ニュースに出てきた言葉を確認しましょう。「空襲」とは、飛行機が空からばくだんなどを落として、まちや人をこうげきすることです。「碑」とは、出来事や人々の思いを忘れないように、文字を刻んで建てる石のことです。「追悼」とは、なくなった人のことを思い、その死を悲しんでいのることです。「動員学徒」とは、戦争中に働き手が足りなくなったため、工場などで働くように集められた生徒や学生のことです。戦争を体験した人から直接話を聞けなくなっても、碑や記録は、当時の出来事をわたしたちに伝え続けてくれます。みなさんも、身近な地域に残る戦争の記録を調べて、平和の大切さについて考えてみてはどうでしょうか。